ドイツ建築や住宅に影響を与えたバウハウスとは何か?

ドイツ建築といえば「バウハウス」と耳にすることも多いかと思いますが、実は、この「バウハウス」は、あの有名なレゴの元祖であり、SNS等でよくみられる写真の自撮り・コラージュの起源だとも言われています。

目次

ドイツや近代住宅にも影響を与えた「バウハウス」とは一体、なんなのか?

バウハウスは建築を語る上での重要なマイルストーンにもなっており、住宅などの建築にも影響を与えていま
す。
今日は、ドイツ建築に色濃く反映される「バウハウス」についてご紹介したいと思います。

目次

1:バウハウスとは?
2:バウハウスの歴史
3:代表的なバウハウス

1.バウハウスとは?

lappingによるPixabayからの画像

バウハウス(Bauhaus)とはもともと、1907年にヘンリー・ファン・デ・ヴェルデによって設立されたワイマール大公サクソン美術学校とヴァイマル大公サクソン美術工芸学校の合併により誕生した、芸術と建築のための美術学校で、ヴァルター・グロピウスによって、1919年にヴァイマル共和国にて正式に創立されました。

初代校長 ヴァルター・グロピウス:Dieses Atelierporträt mit Hand an Wange, angefertigt von Louis Held, zeigt Walter Gropius, geboren 1883, Gründer des Bauhauses Weimar (in Weimar 1917 bis 1923).

バウハウスは、かつて伝統的に分離されていた視覚芸術、応用芸術、舞台芸術の分野を「バウハウス」のコンセプトのもとに統合し、絵画、舞台芸術、音楽に強い影響を与えました。
これにより、「バウハウス」は芸術と職人技の融合を象徴するものとされ、世界で初めてモダンなデザインの枠組みを確立したと言われています。

バウハウスの影響は非常に大きく、現代では「バウハウス」という言葉はしばしば建築やデザインのモダニズムと口語で同一視されています。
これは、バウハウスの発展につれて、機能主義、古典的モダニズム、新しい客観性、国際的なスタイル、などを反映したバウハウスの教師や学生のデザインや作品が国境を越えた長期的な潮流の一部として捉えられるようになり、それらのデザインや作品がやがて「バウハウス」というスタイルに分類されるようになったからです。

また、今日でもバウハウスは20世紀の建築、アート、デザインの分野で最も影響力のある歴史的な教育機関でもあります。自由芸術や応用芸術、建築のあらゆる分野において、クラシック・モダニズムの前衛の本拠地として、世界的に知られています。

2.バウハウスの歴史

バウハウスはもともと、絵画、グラフィック、写真、ステージクラフト、ダンス、など様々な芸術分野の教育機関でしたが、1972年以降から、建築やインテリアデザインでとても有名になりました。

建築界において19世紀までは、装飾性に富んだ歴史主義的なスタイルが主流でした。
しかし、バウハウスでは、建築を他の芸術と総合的な芸術作品として融合させることが指針とされ、1919年の創立時、初代校長のヴァルター・グロピウスが「すべての芸術活動の最終目標は建設である」と宣言しました。
また、「芸術家と職人の間に本質の差はない。階級を分断する思い上がりをなくし、職人の新しい集団を作ろう!」というグロピウスの呼びかけを機に、ドイツでの芸術家と職人の区別も撤廃されることとなり、アートと産業のコラボレーションが加速していきました。

バウハウスでは、安価で機能的な製品をデザインしそれを産業のモデルとすることが目標にされ、初期には、ヨハネス・イッテンにより、合理主義的(機能主義的)なものと表現主義的(神秘主義・精神主義的、芸術的、手工業的)なものとを組み合わせた教育方針がとられていました。

しかし、のちに、より合理主義的・機能主義的な考え方をとるようになったグロピウスとイッテンは対立し、1923年にイッテンがバウハウスを去ってからは、ハンガリーを亡命したモホリ=ナジ・ラースローが合理主義・機能主義を中心とした教育を行うようになりました。

これにより、バウハウス出身の芸術家たちは、より合理的かつシンプルなデザインにフォーカスするようになり、機械的な大量生産に適したバウハウスのデザイン手法は、産業革命中のモダニズムの拡大を経て人気を博すようになっていきます。
建築においては、今日におけるコンクリート製の建築物やモジュール構造などを確立し、特にモジュール構造は、工業プラントだけでなく、例えばメガメトロポリタンの衛星都市のような生活空間の設計のためにも役立っています。

バウハウスはその後、1925年にデッサウに移転し、グロピウスが校長を退くと、後継者には建築家であるハンネス・マイヤーが指名されます。
このデッサウのバウハウス校舎は、グロピウスによって設計され、のちに「バウハウス」のイメージを代表する建築物となります。

デッサウ校 TegulaによるPixabayからの画像

マイヤーは唯物論の立場から、バウハウスの教育方針全てを規格化・数値化・計量化し、合目的性・経済性・科学性を徹底的に重視する方にシフトさせていきます。その結果、バウハウスの国際的な評価は高まりましたが、共産主義色が強くなってしまったマイヤーは1930年に解任されます。

後任に、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが就任すると、バウハウスは、今度はベルリンに移転され、私立学校となります。ミース・ファン・デル・ローエはマイヤーの方針を引き継ぎながらも、政治色を払拭した教育方針を掲げていましたが、1933年にナチスによる強制閉校を恐れ、ミース・ファン・デル・ローエ本人により解散されました。

このように、バウハウスはたった14年で閉鎖してしまいましたが、今日の無駄な装飾を廃して合理性を追求する「モダン」な製品デザインの基礎を作り上げ、建築、工芸・写真・デザインなどの現代美術において大きな影響を与えました。
今日では、合理的な「バウハウス」の影響は様々な分野に波及しており、例えば、私たちにとっても身近な、IKEAなどの普及品の家具のデザイン、ユーザーインタフェースのグリッドレイアウトなど、多数の製品にバウハウスと同じデザイン手法が活用されています。
また、テクノロジーの活用はメディアアートにも影響を与え、現代のデジタルコンテンツの制作手法の基礎にもなっています。

つまり、バウハウスの合理性を追求したデザインは、現代社会においても、様々なところで浸透しているのです。

3.代表的なバウハウス

では、無駄な装飾を廃して合理性を追求する「バウハウス」はドイツ建築でどのように反映されているのでしょうか?
前述のバウハウス デッサウ校に加えて、代表的な建築を3つ紹介します。

ファグス靴型工場 Carsten Janssen / cc-by-sa-2.0-de, CC BY-SA 2.0 DE, via Wikimedia Commons

ドイツのニーダーザクセン州アルフェルトにある製靴用の靴型(英語版)工場は、「バウハウス」の初期モダニズム建築として、2011年にUNESCOの世界遺産リストに登録されました。
1階から最上階までに金属枠のガラス窓を使用し、建物の角には支柱などの目に見える構造上の支えを作らなかったことが特徴的で、どの建物も基礎には黒いレンガを使い、上部構造には黄色いレンガを使うことにより、統一感が出されています。

また、光を効果的に取り込むために、グロピウスとマイヤーは垂直方向よりも水平方向に大きな窓、角でのより長い窓を取り入れました。これにより、工場内は明るくなり、労働環境を改善したと言われています。

ハウスアウアーバッハ fotografo: Karlheinz Schmidt (1863-1931), Public domain, via Wikimedia Commons

バウハウスの共同創設者であり、バウハウスの最も重要な代表者の一人であるヴァルター・グロピウスがイエナに建てた2つの民家のうちの1つです。
このハウス アウアーバッハは1924年に、物理学者で芸術のパトロンでもあるフェリックス・アウアーバッハ博士のために、建設され、グロピウスが開発したモジュラー原理を実現した最初の住宅だと言われています。
この建築では、平らな屋根(一部はアクセス可能)、水平方向の窓、全面ガラス張りのコンサバトリーなど、「バウハウス」スタイルおなじみの基本的な要素を完璧に見ることができます。

ハウス ズッカーカンドル 引用:Villa Zuckerkandl. Sebastian Wallroth

グロピウスが1927年イエナに建てた、もう一つの住宅です。
テレーゼ・ズッカーカンドルの依頼を受け、オットー・マイヤーの監督のもと、グロピウスの計画に基づいて建設されました。
3階建ての立方体の建物は傾斜地に位置し、滑らかな漆喰の表面、大きな窓、歩行可能なフラットな屋根によってすべて水平になるようデザインされています。

いかがでしたでしょうか。
ドイツに旅行で来られた際には、ぜひ、「バウハウス」のデザインが反映されるモダンな建築見学も楽しんでください。

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