ドイツの有名近現代建築家ベスト6

ドイツと聞くと近代的な建築スタイルを思い浮かべる方も少なからずいらっしゃるかと思いますが、ドイツ人の有名な建築家について、ご存じですか?
今回は筆者が私見で選んだ、知っておくべきドイツ人の有名建築家を6人ご紹介いたします!

目次

「人」を通してみるドイツの建築:近現代の有名建築家達

目次
1. Gottfried Böhm
2. Frei Otto
3. Hans Kollhoff
4. Helmut Jahn
5. Dörte Gatermann
6. Anna Heringer

1. Gottfried Böhm – ゴットフリート・ベーム

ゴットフリート・ベーム(2015年)Elke Wetzig, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ゴットフリート・ベームは、ドイツで最も有名な建築家といっても過言ではなく、今年でなんと100歳になります。
ヘッセン州オッフェンバッハ出身で、アーヘン工科大学で教授として教鞭を執ったことでも知られています。

ゴットフリート・ベームは、教会堂建築家の息子として1920年1月23日に生まれ、ミュンヘン工科大学で建築を、ミュンヘン造形芸術アカデミーで彫刻を学びました。
卒業後は、父の設計事務所で働いた後、ケルンの戦災復興企画に参加したり、ニューヨークの建築事務所で働いたりして経験を積みました。

その後、再び父親の建築事務所に戻り、1963年にアーヘン工科大学の教授に就任します。
ゴットフリート・ベームは、宮殿の改修など歴史的な建築物に携わるだけではなく、商業施設やと図書館、市役所など様々な種類の作品に携わり、現代的な建築素材を取り込みながらもドイツ表現主義建築の伝統を蘇らせる巧みな技術で有名な建築家です。

ゴットフリート・ベームが国際的に有名となった最初のきっかけは、1960年代に開発した、結晶のような「コンクリート・ロック」です。

コンクリート・ロックがみられるSt. Ludwig (Saarlouis)の天井 Cmcmcm1, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
St gertrud koelnの内装 Elya, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
聖ガートルード(ケルン) Elya, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

この「コンクリートロック」には主にコンクリートが使用され(例外的にレンガ)、カッセル・ヴィルヘルムシェーエのマリエン協会(現在のファティマ教会)や、聖ガートルード(ケルン)の大規模な非対称の折り畳み式天井は、建築業界における、新しい空間形態への道を切り開いたと言われています。

さらに、1968年に聖別されたネヴィゲス巡礼教会であり、一般的にベームの最も重要な作品とされています。

ネヴィゲス巡礼教会 seier+seier, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
ネヴィゲス巡礼教会 seier+seier, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

結晶のような形の特徴的な屋根が記念碑的な空間彫刻としても大変存在感のある最も著名なベームの建築作品です。
1970年代になると、ベームは経済的な理由から、当時の幻想的な彫刻的な建築様式から、より柔軟で機能的な建築要素(鉄桁やシステム要素など)へと転向します。

ケルン・コーヴァイラーの団地の一部(写真:2009年) Elke Wetzig Elya, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

より機能的な方向へシフトしてからのベームの建築作品でとくに有名なのは、ドイツ連邦共和国最大級のサテライトタウンである「チョルヴァイラー新市街」です。

ケルン・コーヴァイラーの団地正面 Elke Wetzig (Elya), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

その住宅団地の一つがゴットフリート・ベームによって設計されたもので、その形と色の豊かさだけでなく、ドイツ表現主義建築の伝統を蘇らせる巧みな表現性のおかげで、チョルヴァイラーの他の建物とは一線を画しています。
住宅団地の中心部は、四分儀の形をした正方形で形成されていおり、広場の丸みに続いて西側に9階建てのマンションが建っていることで縁取られています。建物は1階と2階にまたがる柱廊があり、その支柱がファサードの構造を支えています。
密に配置されたバルコニーも、格子格子で縦につながっているファサード構造になっており、ビルの1階にはショップやレストランが入っています。

2.Frei Paul Otto - フライ・オットー

ドイツの建築家フライ・ポール・オットーは、単なる建築家ではなく、これまでに確立されてきた構造工学の常識を覆し、最も奇抜でユニークなスタイルを開拓した、優れた発明家であり技術者でもあります。
なかでも、1972年のミュンヘンオリンピックのために設計された巨大な屋根の天蓋で最もよく知られています。

オリンピックスタジアムミュンヘンの屋根 Diego Delso, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

公共の建物に光と開放感をもたらしたテントのような構造物を芸術として形に残したオリンピックスタジアムミュンヘンの屋根のように、彼の作品は、蜘蛛の巣、樹木、骸骨などの自然の有機的な形態からインスピレーションを得ていたことで有名です。

オットーは1925年にジークマールに生まれ、青春時代をベルリンで過ごしました。
1943年に建築を学ぶために大学に入学しましたが、第二次世界大戦末期に志半ばでドイツ空軍に召集されることとなります。1943年、オットーは戦闘機パイロットとして訓練を受け、1944年末には歩兵となります。
のちの1945年4月、彼は戦争中に捕虜となり、フランスの捕虜収容所に2年間滞在し、この期間に、収容所内で手に入る道具や材料を使って簡単なシェルターを設計したのが、彼の最初の建築作品となりました。
1948年、フライ・オットーは建築を学ぶためにドイツに戻り、ドイツの第三帝国の下で典型的であった重厚な柱状の建物とは対照的な作品を作り始めます。
戦闘機パイロット時代に眼下の街が次々と破壊されてゆくさまに強い衝撃を受けたオットーは、「永続的」で「頑丈」であることを旨とした従来の建築観への疑問と諦念を抱き、軽量で自然に開放され、低コスト、非永久的な建築スタイルを貫きつづけました。

1950年に奨学金を得てアメリカに渡り、フランク・ロイド・ライト、エーリッヒ・メンデルソーン、エーロ・サーリネン、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ、リチャード・ノイトラなどの作品を訪問すると同時にバージニア大学で社会学と都市開発を学びます。

1955年にストロイマイヤー&カウールド社のピーター・ストロイマイヤーの協力を得て、カッセルで開催された連邦庭園展のバンドスタンドを建築し、さらに、その後、1957年にケルンで開催された同展のエントランスアーチ、1964年にローザンヌで開催されたスイス国内博覧会の「雪と岩のパビリオン」を手がけました。

1958年には、ベルリンのアトリエと並行して、軽量建築開発研究所を設立し、その後1964年には、シュトゥットガルト大学の軽量構造研究所の所長に就任。
自然界に見られる数学的パターンに基づいた軽量化の研究を進めたことでも有名です。

オットーが国際的に注目されるきっかけとなったのは、何と言っても1967年の万博パビリオンの建設です。
さらに、軽量構造研究所での功績から、オットーはミュンヘン・オリンピック・スタジアムの建設に携わることとなり、工学と建築の分野で広く成功したと言われています。

また、彼の最も有名なプロジェクトの多くは、特にエンジニアのテッド・ハポルドとのコラボレーションから生まれました。テッド・ハポルドは、1975年にマンハイムの多目的ホール(Mannheim Multihalle)の構造をオットーとともに手がけました。

マンハイムの多目的ホール(Mannheim Multihalle) Hubert Berberich (HubiB), CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

2000年には、2014年に建築界で最も権威ある「プリツカー賞」を受賞した日本人建築家の坂茂氏とハノーバー万博の日本館を共同設計しました。
この建物には、木材のフレームで支えられた再生紙のチューブで作られた「グリッドシェルシステム」が採用されており、材料・構造の両面で挑戦的な作品として有名です。

ハノーバー万博の日本館
Jean-Pierre Dalbéra from Paris, France, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

2015年にはプリツカー賞の受賞者として発表される予定でしたが、3月9日に亡くなってしまいました。
彼の死を受けてもなお、プリツカー賞委員会は3月10日に彼の受賞を発表し、90年代と00年代を定義する建築家として、世界中から認められることとなりました。

3.Hans Kollhoff - ハンス・コルホフ

ハンス・コルホフは、ポストモダン建築、新古典建築の代表者であり、新都市主義の第一人者でもあるドイツの建築家です。
ドイツおよびヨーロッパの建築家としての彼のプロジェクトは市民から住宅まであらゆるスケールに及び、古典的な建築スタイルで名の知れた建築家です。

コルホフは6歳まで、DDRの南端に位置するチューリンゲン州の家族経営の農場で過ごしました。
のちの1953年に家族は西ドイツに逃れ、北バーデンに移住することとなります。

コルホフは1968年にカールスルー工科大学で建築を学び始めました。
学部生だったコルホフは、エイガーマンの講義や、エイガーマンの協力者であった建築家ゲルハルト・アッセムのカールスルーエのアトリエでの仕事を通して、間接的にエイガーマンの教えに常に触れながら学生生活を送ります。

1974年にはウィーン工科大学に留学し、ハンス・ホーレインのアトリエで1年間働き、 1975年にはカールスルーエに戻ったのち、卒業論文を完成させました。
その後、DAADの奨学金を得てコーネル大学に留学し、建築史家のコリン・ロウと建築家・理論家のオズワルド・マティアス・ウンガースとの学術的な対立が刺激的な雰囲気の中で、レム・コールハースとともに研究を行い、のちの1977年にウンガースの助手となりました。

1978年にはベルリンに自身のスタジオを開設し、1984年からはヘルガ・ティムマーマンと共同でスタジオを運営しています。
また、 国内外で複数の客員教授も務めており、1985年までにはHdK(ベルリン芸術大学)で助手を務め、2012年までにはETHチューリッヒで建築と建設の教授も務めました。

ハンス・コルホフの建築は、古典的な建築スタイルと、石やレンガなどの堅固で伝統的な材料を伝統的な方法で使用することが特徴です。

Jörg Zägel, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

コルホフは、頻繁に古典的なモチーフを使用し、より伝統的なスタイルを確立・発展させてきました。
そのため、彼のスタイルは時折、単なる伝統的な形式主義のノスタルジックな模倣で時代遅れな「レトロな建築」だと批判されることもありますが、内部空間内の細部にも注意を払われているコルホフの建築スタイルは「20世紀初頭の建築家の仕事の継続」として多方面から称賛されています。

有名な建築作品としては、ベルリンのポツダム広場のダイムラークライスラーのために設計された、古いニューヨークのレンガのスタイルの高層タワーやアレクサンダー広場の高層ビルがあります。

The Beisheim Center on Potsdamer Platz, Berlin Jörg Zägel, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

また、 彼の作品の中には、旧帝国銀行の再建や、クルフュルステンダム近くのシャルロッテンブルク・ヴィルマーズドルフ地区の「ライプニッツ・コロンナーデン」もあります。
2005年、彼はノレンドルフ広場にある高級ナイトクラブ「ゴヤ」のインナールームを建設し、フランクフルト・アム・マインでは、彼はドイチュヘルンフィアテルの中に88メートルの高さの住宅ビル「マイン・プラザ」を建設しました。

住宅ビル「マイン・プラザ」 Main_Plaza_Frankfurt_East.jpg: rupp.dederivative work: Sitacuisses, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

2004年からコルホフは、1962年に取り壊された、ベルリンにある1836年に建築されたカール・フリードリッヒ・シンケルの建物を再建することを目的とした「バウアカデミー」プロジェクトを主導しています。

4.Helmut Jahn - ヘルムート・ヤーン

ヘルムート・ヤーンは、シカゴを拠点とするドイツ系アメリカ人建築家で、ドイツ・ベルリンのポツダム広場のソニーセンター、ドイツ・フランクフルトのメセトゥルム、ペンシルバニア州フィラデルフィアのワンリバティプレイス(旧フィラデルフィアで最も高いビル)、タイ・バンコクの国際空港スワンナプーム空港などの設計で知られています。

ドイツ・ベルリンのポツダム広場のソニーセンター Fred Romero from Paris, France, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
シカゴ・オヘア国際空港
Tom Harpel, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

ヤーンは1940年にドイツのニュルンベルク近郊のジルンドルフで生まれ、連合軍の爆撃で大部分が破壊された街の復興を見て育ちました。
1960年から1965年にかけてミュンヘン工科大学で建築を学んだ後、ピーター・C・フォン・シードラインのもとで1年間働きました。1966年、シカゴに移住してイリノイ工科大学で建築を学びますが、学位を取得せずに退学することとなりました。

その後、ヤーンは1967年にチャールズ・フランシス・マーフィーの建築事務所であるC.F.マーフィー・アソシエイツに入社し、1973年に会社の計画および設計のエグゼクティブ・バイス・プレジデントおよびディレクターに任命されます。

一般的にはルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの影響を受けながらも、ヤーンはモダニズムの教義的適用には反対し、1978年にはシカゴの第一世代のポストモダン建築家グループである「シカゴ・セブン」の8人目のメンバーとなりました。
ヤーンは1985年にシカゴのイリノイ州センターで名声を確立し、「フラッシュ・ゴードン」と呼ばれるようになります。

最近のプロジェクトでは、2016年にニューヨークの50 West Stの住宅タワー、2017年にドイツのロットヴァイルのThyssenKrupp Test Towerなどがあります。

ニューヨークの50 West Stの住宅タワー Godsfriendchuck, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
ドイツ、ロットヴァイルのThyssenKrupp Test Tower Olga Ernst, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

5.Dörte Gatermann - ドルテ・ガーターマン

ドルテ・ガーターマン(2019) Elke Wetzig, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ドルテ・ガーターマンは、ケルンにある、高さ約103メートルの「トライアングルタワー」をデザインしたことで最も知られる、ドイツの建築家です。
彼女のモットーは、「どちらか一方ではなく、両方で!」です。
つまり、「機能性と美しさ」、「合理性と感情」、「家族とキャリア」、すべて両方大切だということです。
彼女は、建築家としてのキャリアの一方で、働く女性として、女性のキャリアと子育ての葛藤をテーマとして取り上げています。

ケルンのトライアングルタワー Photo by CEphoto, Uwe Aranas

ガーターマンは1956年にドイツのハンブルクに生まれます。
幼い頃に母親を亡くし、建築家の父親に育てられたガーターマンは、ブラウンシュヴァイク工科大学、アーヘン工科大学でプリツカー賞を受賞した建築家ゴットフリート・ベーム(先述)に師事しました。
学生時代にシュトゥットガルトのベームの「ズブリンハウス」プロジェクトのリーダーを任されることとなり、プロジェクトの成功を収めた後、卒業後5年間ベームの下で引き続きプロジェクトリーダーとして働きました。

1984年、後に結婚したパートナーのエルマール・ショッシグと共に、ガーターマンはケルンに自身の共同建築事務所Gatermann + Schossigを設立します。
パートナーのエルマール・ショッシグが亡くなる2009年までに、二人は約50のプロジェクトを成し遂げました。

リモワのスーツケース工場はそのプロジェクトの一つで、1987年にはドイツ建築賞を受賞しました。それ以来、100以上の建築賞やコンペ賞を受賞しています。

Rimowa-Gebäude © 1971markus, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

2002年、様々な大学から教授職のオファーを受けた後、最終的にダルムシュタット工科大学で2007年まで教壇に立ちます。ダルムシュタットでの彼女の最も印象的な業績の一つは、写真家ベッティーナ・フリットナーのためにデザインした巡回展を含む、いわゆる女性のための「殿堂」博物館を企画したことです。
その後は、自分自身のビジネスに集中するためにケルンに戻っています。

ガターマンの代表作である、高さ約103メートルの「トライアングルタワー」は、彼女がなんと47歳の若さで受注を受けたプロジェクトです。

のちのインタビューでは「男性だけでなく、女性である私にも高層ビルを建てられることを証明できた」と満足げな表情で語っていたと言われています。
2006年、共同建築事務所 Gatermann + Schossigは、トライアングルビルでのガラスの革新的なデザインが評価され、ピルキントンのガラス会社「Synthesis – Architect and Industry」賞を受賞しました。

その他のプロジェクトとしては、ケルン中心部にある13世紀に建てられたバイエントゥルム(塔)を1990年代に修復、改修、拡張したもの、2000年に完成した自宅(夫と密接に協力した数少ない建築物の一つ)、ザンテンの考古学公園にあるローマ博物館のために最近オープンした展示スペースなどがあります。

6.Anna Heringer – アンナ・ヘリンガー

アンナ・ヘリンガーは、持続可能な建築の分野で活躍するドイツの建築家です。
ローゼンハイムに生まれたアンナ・ヘリンガーは、バイエルン州上部のザルツブルク近郊のラウフェンで育ちました。19歳でバングラデシュに留学し、そこでNGOで働いていたことがきっかけでバングラデシュという国自体に興味を持つようになります。
2004年にリンツの芸術大学で建築の研究を修了し、最終論文として、バングラデシュのルドラプールにあるMETIハンドメイドスクールの新校舎の設計を担当しました。
この設計は1年後に実現することとなり、アガ・カーン賞などの国際的な建築賞を獲得しました。

Naquib Hossain, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

地元の職人さん達の協力を得て、竹や粘土などの伝統的な建築材料を使って建築されただけではなく、将来の電気工事士のための専門学校も隣接して建設されました。
のちにヘリンガーはシュトゥットガルト、リンツ、ウィーンで客員教授を務め、ドイツのドキュメンタリー映画『Die Zukunft ist besser als ihr Ruf』の6人の主人公の一人として取り上げられることになりました。

彼女のデザインの典型的な特徴は、伝統的な建物の形態、地元住民の関与、環境に配慮した建築の志向、という点です。例えばルドラプールの専門学校においては太陽光発電で供給されています。
彼女のデザインは、単なる建築デザインだけではなく、開発援助という面でも大きな役割を果たしています。

彼女の作品はニューヨーク近代美術館、サンパウロ近代美術館、ヴェネツィア建築ビエンナーレなどで展示されています。
さらに、2007年には、現代建築デザイン・公共住宅建設・まちづくり・共同体の育成と改善・建物の修復・再利用・街並み保存・ランドスケープデザイン(造景)・環境改善などの分野において優れた対処を示した建築計画を、顕彰し賞金を授与することを目的とした「アガ・カーン建築賞」、2011年には「グローバル・アワード・フォー・サスティナブル・アーキテクチャー」を受賞するなど、建築界でもその名が知られるようになりました。

いかがでしたでしょうか?
「建築」といっても幅広い分野があり、それぞれで活躍される建築家を知ることで様々なスタイルの建築を知ることができたかと思います。
建物をデザインした建築家を知ることで、また新たな角度で建築や住宅を楽しむことができるかもしれません。

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